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角田裕毅|F1レーシング界の若き逸材である日本人ドライバーとは

team yuki tsunoda

角田裕毅は、日本人として史上最年少でF1に昇格したレーシングドライバー。

幼少期からカートレースで頭角を現し、そのアグレッシブなドライビングスタイルと大胆なオーバーテイクが高く評価されてきた。

F1デビュー後は、4シーズンにまたがる68以上のグランプリで戦い、自身最高位となる2021年アブダビGPでの4位入賞を含む、61ポイントを獲得。着実な成長と安定性を示し、将来の日本人エースとして大きな期待が寄せられている。

プロフィール

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名前角田 裕毅(ツノダユウキ)
国籍日本
出身地神奈川県相模原市
生年月日2000年5月11日
身長161cm
体重53kg
F1デビュー2021年シリーズ
所属チームオラクル・レッドブル・レーシング

角田裕毅|最新ニュース

角田裕毅のスポンサー一覧【2025年12月最新】

2025年12月時点の、角田のスポンサーを紹介。

  • レッドブル(Red Bull)
  • ORACLE Red Bull RACING
  • HONDA
  • Honda RACING
  • SCHUBERTH
  • マリーナベイ・サンズ
  • Neuro
  • RDS
  • HEXCLAD
  • Crunchyroll
  • META PLANNING
  • Honda Cars 神奈川西
  • PLATZ

角田裕毅の経歴

角田裕毅は、2000年5月11日、モータースポーツ文化が息づく神奈川県相模原市に生まれた。一部では「韓国人ではないか」といった噂が語られることもあるが、生粋の日本人ドライバーである。

幼い頃からレースへの情熱は人一倍強く、F1観戦に夢中になりながら、いつか自分もその舞台に立つことを思い描いていた。

本格的なキャリアの幕開けは2010年。JAFジュニアカート選手権に参戦すると、その小柄な体からは想像できないスピードと勝負勘で早々に頭角を現す。2013年には地域クラスへ、翌2014年にはナショナルクラスへとステップアップし、全国のトップジュニアたちとしのぎを削る日々が続いた。走るたびに経験を積み、レースごとに速さと技術が研ぎ澄まされていった。

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転機が訪れたのは2016年。ホンダ鈴鹿サーキットレーシングスクール(Honda Racing School Suzuka)のアドバンスドフォーミュラクラスを修了し、SUTEKINA RACING TEAMからF4日本選手権にスポット参戦。鈴鹿での初レースで、いきなり2位表彰台を獲得した。強烈なインパクトを残す滑り出しとなり、角田裕毅という名前が本格的に注目され始めた瞬間だった。

2017年には、名門育成プログラムである「ホンダ・フォーミュラ・ドリーム・プロジェクト(HFDP)」に加入。HFDPは才能ある若手に最高レベルの環境を提供することで知られており、角田はここでプロドライバーへの確かな基盤を築くことになる。

現在はF1ドライバーとしての活動において、2025年シーズンの契約ベースで約200万ドル(日本円でおよそ3億円超)という年収を得ていると報じられている。

角田裕毅の過去の成績

角田裕毅のキャリアは、カートからF1に至るまで、一貫して急速な成長を遂げてきた。幼い頃からレースへの強い情熱を抱き、父親でありアマチュアレーサーでもある角田裕一氏の影響を受けながら、自然とモータースポーツの世界へと引き込まれていった。

どのカテゴリーでも際立つスピードと適応力を示し、短期間でトップ争いへと駆け上がっていった角田の歩みを、シリーズごとに振り返っていく。

FIA-F4日本選手権

カートでの成功を土台に、2017年から本格的にシングルシーターレースのキャリアをスタートさせる。

この年FIA-F4日本選手権とJAF-F4東日本シリーズに参戦した角田は、デビュー直後からたちまち頭角を現し、FIA-F4日本選手権第2戦となる岡山国際サーキットで初優勝。以降も安定した結果を積み重ね、JAF-F4東日本シリーズではタイトルを獲得。FIA-F4日本選手権でもランキング3位となり、その才能と適応力を証明した。

2018年も、引き続きホンダ・フォーミュラ・ドリーム・プロジェクト(HFDP)のドライバーとしてFIA-F4日本選手権に参戦。驚異的なスピードでシーズンを席巻し、7勝を挙げ、最終戦で堂々のシリーズチャンピオンを獲得する。

FIA-F3選手権

ホンダがF1でレッドブルと提携する中、角田もホンダプログラムと並行してレッドブル・ジュニアチームに加わる。2018年末には、新たに発足したFIA-F3選手権にイェンツァー・モータースポーツから参戦することが発表された。

F3初年度にもかかわらず、バルセロナでの開幕戦で早速ポイントを獲得。シーズン中盤にはスパ・フランコルシャンで初の表彰台を手にし、強いプレッシャーの中でも冷静に実力を発揮できることを示した。

第7戦モンツァで記憶に残る初勝利を飾り、さらにいくつかの表彰台を重ね、ランキング9位でシーズンを締めくくる。デビューイヤーながら、確かなスター候補としての存在感を強めた1年だった。

ユーロフォーミュラ・オープン

FIA-F3選手権と並行して、 2019年はモトパークからユーロフォーミュラ・オープンにも参戦。フォーミュラ・ヨーロピアン・マスターズが中止となったことを受けての挑戦だった。

ホッケンハイムでのレース2で初優勝を挙げ、シリーズ4位となり、将来を嘱望されるドライバーとしての評価をさらに高めた。

トヨタ・レーシングシリーズ

2020年のシーズン開幕前には、リアム・ローソンとともにM2コンペティションからトヨタ・レーシング・シリーズに参戦。

1勝にとどまったものの、さまざまなレースコンディションやマシンに安定した適応力を発揮し、シリーズ4位を獲得した。

FIA-F2選手権

2020年、ホンダは角田がカーリンからFIA-F2選手権に参戦することを発表。チームメイトにはレッドブルの新たな育成ドライバー、ユアン・ダルバラが名を連ねた。開幕戦は新型コロナウイルスの影響で延期され、7月のオーストリアでシーズン開始を迎える。

F2でもデビュー直後から速さを証明し、開幕戦のフリー走行ではトップタイムを記録。第2戦では初のポールポジションを獲得し、レースをリードするも、無線トラブルで惜しくも勝利を逃した。

それでも勢いは止まらず、シルバーストンでは圧倒的な勝利を挙げ、シーズンを通して複数の表彰台を獲得。最終的にランキング3位となり、世界で最も有望な若手ドライバーの1人であることを強く印象づける。

F1(フォーミュラ1)

F1は世界でも最も競争が激しく、一瞬の迷いが結果を塗り替える容赦のない舞台だ。角田はこれまでに培ってきた速さと経験を武器に挑んだが、一方でF1特有の壁にも次々と向き合うことになった。その成長の軌跡を、初年度から順に追っていく。

2021年:アルファタウリの有望なデビューシーズン

角田裕毅 2021年:アルファタウリの有望なデビューシーズン
Yuki Tsunoda racing for Scuderia AlphaTauri Honda in 2021. Credit: Red Bull Content Pool

2021年、角田はダニール・クビアトの後任としてアルファタウリからF1デビューを果たす。豪快なドライビングスタイルと天性のスピードですぐに存在感を示す一方、ルーキーらしい波のある走りも見せた。
開幕戦のバーレーンGPでは最終ラップにランス・ストロールをオーバーテイクして9位入賞。F1初レースでポイント獲得という鮮烈なスタートとなった。

しかし、シーズン中盤以降はクラッシュや予選ミスが重なるなど、経験不足ゆえの課題も露呈した。
それでも、角田は戦う度に成長を見せ、マシン性能を引き出す力や予選での単発的な速さはチームから高い評価を受ける。

最終戦のアブダビGPでは自身最高位となる4位入賞を達成。これはチームにとっても貴重な結果であり、ルーキーイヤーの集大成となった。

最終的に32ポイントを獲得し、ドライバーズチャンピオンシップ14位でシーズンを終了。課題を残しつつも、F1で戦える確かな実力と大きな可能性を証明した年だった。

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2022年:アルファタウリで苦戦した1年

角田裕毅 2022年:アルファタウリで苦戦した1年

2022年はチームにとっても角田自身にとっても厳しいシーズンとなった。大幅な空力レギュレーション変更にチームが苦戦し、角田も新しいマシンの特性に十分対応しきれない場面が続いた。

開幕戦のバーレーンGPでは8位入賞と上々のスタートを切ったものの、その後はペース不足やセットアップの難しさに悩まされ、ポイント獲得のチャンスは限られた。

シーズン中盤にかけては、イモラで7位入賞を果たすなど流れが上向く瞬間もあったが、依然としてマシンの不安定さと競争力不足が足かせとなる。レースごとに改善を図る姿勢を見せながらも、ポイント圏争いに絡むことは容易ではなく、安定したリザルトを残せない状況が続いた。

終盤戦ではアメリカGPで10位に入りポイントを加算したものの、結局大きな成果にはつながらなかった。

最終的に角田は12ポイント、ドライバーズランキング17位でシーズンを終える。数字こそ厳しいものとなったが、新規則初年度の困難な環境下でも粘り強く走り続けた経験は、翌年以降の成長につながる重要な糧となった。

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2023年:成長と躍進のシーズン

角田裕毅 2023年:成長と躍進のシーズン

2023年は、角田にとってF1キャリアで最も充実したシーズンのひとつとなった。序盤のバーレーンGPとサウジアラビアGPでは連続11位と、わずかにポイントには届かなかったものの、安定したレース運びを披露。続くオーストラリアGPで10位に入り、シーズン最初のポイントを獲得。アゼルバイジャンGPでも10位入賞を果たし、序盤から力強いパフォーマンスを示した。

シーズン中盤にも随所で存在感を発揮する。ベルギーGPでは難しいコンディションの中で10位に食い込み、ポイントを積み重ねた。終盤に入るとパフォーマンスがさらに向上し、アメリカGPでは8位入賞とシーズンベストの成績を記録。最終戦のアブダビGPでも堂々とした走りを見せ、再び8位に入った。

2023年はチームメイトの交代が多かったシーズンでもある。ニック・デ・フリース、ダニエル・リカルド、そして代役として参戦したリアム・ローソンと、角田は3人の異なるチームメイトと戦うことになったが、いずれに対しても上回る成績を残し、チームにとって欠かせない存在であることを証明した。

中でも最も強力なライバルとして台頭したのが、ルーキーのローソンだった。シンガポールGPではデビュー3戦目にして自身初のポイントを獲得し、その鮮烈な走りが注目を集めた。短期間で存在感を示すローソンのパフォーマンスは、国際メディアの議論を一気に加速させる。一部の記者やレッドブル関係者からは、「2024年はローソンを起用すべきだ」という声さえ上がった。

しかし、ルーキーであるローソンとの比較を、この瞬間的な結果だけで判断するのは短絡的だ。ローソンが加入する以前から、角田は約3シーズンにわたって着実に経験を積み、チームに大きく貢献してきた。また、日々の開発作業やシーズン全体の安定した働きは、数字だけでは語り切れない価値を持っていた。

ヘルムート・マルコ、ピーター・バイエル、そしてフランツ・トストらは、この比較の難しさと背景を正確に理解していた。アルファタウリが2024年のドライバーとして角田を指名したのは、ローソンにはまだ備わっていなかった、経験、継続的な成長、チームへの貢献が高く評価された結果だったと言える。

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2024年:レーシングブルズで迎える新体制

角田裕毅 2024年:レーシングブルズで迎える新体制

2024年、角田はチーム名をVISA Cash App RB(レーシングブルズ)に改めた新体制のもと、シーズンに挑む。レッドブル本家との連携も強化され、2023年末から続く上昇傾向の継続が期待された。

また、これまで角田の支えとなっていたチーム代表のフランツ・トストが勇退したことも大きな変化だった。

開幕前からチームの組織改革が進む中、角田は前年までに積み上げてきた経験を武器に存在感を示していく。

序盤のオーストラリアGPで7位入賞を果たし、続く母国開催の日本GPでは10位に入る。ホームでのポイント獲得は、ファンにとっても印象深い走りとなった。

その後もマイアミGP、エミリア・ロマーニャGP、モナコGP、と着実にポイントを重ねていく。
一方で、完走できなかったレースやQ1敗退などもあり、安定してトップ10をキープするという課題が残る。

しかし、レース運びの冷静さやチームとの連携は明らかに向上しており、精神面での成熟が際立つシーズンとなった。

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2025年:混乱と試練に揺れたシーズン

2025年の角田は、シーズン開幕前から大きな波に飲まれた。レッドブルはセルジオ・ペレスの後任としてリアム・ローソンを起用し、角田は前年に続いてレーシングブルズで新人アイザック・ハジャーとタッグを組む予定だった。

しかし、その体制はわずか3戦で崩壊する。レッドブルはローソンをレーシングブルズへ移籍させ、代わって角田がレッドブルのセカンドドライバーへ電撃昇格。第3戦の日本GPから、4度の世界王者マックス・フェルスタッペンと肩を並べることになった。

だが、昇格の裏で待っていたのは、RB21の扱いづらさ。チームも認める“極端に狭いウィンドウ”がマシンの不安定さを生み、角田は序盤から苦しんだ。第7戦エミリア・ロマーニャGPでは予選で大クラッシュを喫し、続くスペインGPでは最下位スタート。その後も7戦連続ノーポイントという、厳しい時期を過ごす。

Yuki Tsunoda Baku
角田裕毅

転機となったのは、レッドブルを長年率いたクリスチャン・ホーナー代表の電撃解任だ。後任にローラン・メキースが就任するとチームの雰囲気は一変し、フェルスタッペンも復調。これまで「競争力がない」と評されていたRB21が、本来のパフォーマンスを発揮し始めた。その改善の中心には角田の走行データがあり、シーズン中盤まで課題とされていたロングランのペースも劇的に向上。角田自身も本来のスピードを取り戻していく。

結果として、混乱のアゼルバイジャンGPでは7位、アメリカGPではスプリントと決勝の双方で7位フィニッシュ。多重クラッシュが続発するレースでも冷静に状況を判断し、着実にポイントを積み上げた姿は印象的だった。

また、2025年の角田には、精神面の大きな成長も見られる。以前のような感情的な無線や他責の姿勢は影を潜め、チームの利益を最優先にする発言が増えた。イモラ以降はクラッシュが一度もなく、安定感という新たな武器も身に付けつつある。ドライビング面では、フェルスタッペンのブレーキング技術から影響を受けていると自ら語るなど、学習と適応のスピードも光っている。

一方で、ピットストップのミスや戦略ミスなど不運な要因が続き、結果が数字として結びつかないレースも多い。かつてレッドブルでセカンドドライバーを務めたペレスが「レッドブルのセカンドはハミルトンでも務まらない」と語ったように、極めて難しい役割を担いながらも、角田はその環境で奮闘している。

2025年の走りは、必ずしも結果だけでは語れない。だが“ドライバーとしての成長”という観点では、間違いなく重要なシーズンとなっている。

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角田裕毅の2026年以降の見通し

角田 裕毅 Visa Cash App RB 2024
角田 裕毅 Visa Cash App RB 2024

角田は、現在のF1で最も将来を嘱望される若手ドライバーの1人だ。すでに随所で非凡なスピードと才能を示しており、多くの専門家が「将来の世界チャンピオン候補」と評価している。日本人として史上初の偉業に手が届く可能性を秘めた存在だ。

一方で、レッドブル内での将来には不透明さもある。ホンダが2026年からアストンマーティンとタッグを組むことで、ホンダ育成ドライバーである角田が、同プロジェクトに合わせてアストンマーティンへ加わる可能性が取り沙汰されている。これは、彼がレッドブルの正ドライバー候補として見られる機会が相対的に小さくなることを意味する。

それでも、着実な成長を続けることができれば、角田がF1トップドライバーの一角に食い込む未来は十分に現実的だ。レーシングドライバーとしての資質は間違いなく本物であり、彼がこのスポーツの頂点を目指す旅路は、今後さらに大きな注目と期待を集めるだろう。

角田裕毅のドライビングスタイルと性格

Yuki Tsunoda running to get to meeting  at the Austrian GP

角田は、アグレッシブなドライビングスタイルと大胆なオーバーテイクで知られるドライバーだ。コース上でリスクを恐れず攻め続ける姿勢は、大きな成果を生む一方で、時にはペナルティを受ける場面もある。

プロとして成長する過程で、角田には大きな影響を与えた人物がいる。それが父親だ。父は幼い頃の角田に、将来の目標でありロールモデルとなるフェルナンド・アロンソを紹介した。2人は鈴鹿GPでアロンソの走りを観察し、特に独特なレーシングラインがわずかな優位性を生んでいると父は教えた。

それ以来、アロンソの技術は角田の研究対象となり、現在のスタイルを作り上げる重要な要素となった。また、角田の家族は、ほかの多くのF1ドライバーの家族と同じように、母親や姉妹も含めて毎年多くのグランプリに足を運び、彼の戦いを支えている。

コース外の角田は、謙虚で親しみやすい性格として知られている。チームやライバルへの敬意を忘れず、ユーモアのセンスにも定評がある。また、美食家としても有名で、F1キャリアの後には自分のレストランを開きたいという夢を公言している。

言語面では、日本語と英語を流暢に操るため、世界中のファンとの交流が可能だ。海外生活が長くなるにつれ英語力はさらに上達したが、多くの日本人が感じるように、英語で話す際にときどき居心地の悪さを覚えることもあるという。

角田裕毅の今の彼女は? 長身イタリア人との噂

角田裕毅の彼女は?
アルファタウリF1の角田裕毅、お相手はイタリア人モデル…?

角田には、昨年の冬を一緒に過ごしたとも言われている、長身のイタリア人女性との交際の噂がある。レッドブルのヘルムート・マルコも、角田にパートナーがいることをほのめかす発言をしている。

一方で、ネット上で確認できるのは数枚の画質の荒い写真のみで、本人やチームが公式に認めたわけではない。詳細は依然としてベールに包まれており、確かな情報はほとんど出ていない。

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