ジュール・ビアンキ逝去から10年 ― ルクレールが追悼コメント

今年の7月17日で故ジュール・ビアンキの逝去から10年を迎え、フェラーリF1のシャルル・ルクレールが自身の名付け親でもあった彼への想いを語った。
ビアンキは2014年の日本GPでの大きなクラッシュにより、意識不明のまま2015年7月17日に亡くなった。当時マルシャF1チームから参戦し、F1での2シーズン目を戦っていた。
パドックでは将来有望な若手として知られていたビアンキだが、モナコ出身のルクレールにとっては特別な存在だった。ルクレールの兄と幼なじみで、シャルルの名付け親でもあったビアンキは、現フェラーリドライバーの人生とキャリア形成に大きな影響を与えた人物だ。
F1界ではビアンキの才能と将来性は広く認められていたものの、プライベートな一面はあまり語られることがなかった。今回、ルクレールが語った思い出話からは、かつてのフランス人ドライバーの優しい素顔が浮かび上がってくる。
F1公式のインタビューでルクレールは当時の思い出を振り返った。「ジュールと一緒に初めてホラー映画を見た時のことを覚えている。僕が寝たふりをしているのに気づかなかったんだ。兄と一緒にその映画を見たがっていて、僕が怖く思いをしないよう、寝ているかどうか確認していた」
「ジュールは本当に優しい人だった。とても面白くて、時々クレイジーな一面も見せてくれた。いつでも人に手を差し伸べてくれて、楽しむことが大好きな人だった」
「一番印象に残っているのは、僕が6、7歳の頃に初めて兄とジュールと一緒にレンタルカートを運転した時のこと」とルクレールは続けた。
「普通、レンタルカートは大人専用だけど、ジュールの父親がそのサーキットを管理していたので、本来は許可されていないようなことも特別にやらせてもらえた」
「僕は彼をとても尊敬していたから、兄や彼の弟、他のプロのカートドライバーたちと一緒に走れるのは最高だった。本当に楽しかった。みんなでつるんで、サーキットが一般に閉鎖されるまで待って、それから何時間もコースで思い切り走り回った。これが何より一番大切な思い出だよ」
若い才能の命を奪った恐ろしいクラッシュにより、F1における安全性の議論が加速。ドライバーたちの命を守る『ヘイロー』導入のきっかけにもなった。現在F1の最前線で活躍するルクレールを、ジュール・ビアンキは今もすぐ近くで守っているのだ。
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