【数字で見る】フェルスタッペンと他のF1ドライバーとの比較
2023年シーズン、レッドブルのマックス・フェルスタッペンは圧倒的な強さでF1記録を塗り替え、3度目のワールドタイトルを獲得した。
異なる時代を比較することはしばしば無益な作業であり、考慮すべき多くの注意点が伴うが、フェルスタッペンの中核となる数字が、彼の現時点の旅路において、歴代のレジェンドたちと比べてどのように積み重なっているのかを考えてみた。
フェルスタッペンが今年獲得した3度目のチャンピオンに焦点を当て、他のドライバーよりもはるかに若い年齢でデビューしたドライバーもいることから、年齢で見るのではなく、同じレース数後に各ドライバーがどのように比較されたかを紹介する。
また、カレンダーの短縮や悲劇的なアクシデントによって少ないグランプリ数で輝かしいキャリアを終えたドライバーとの対比に役立つよう、パーセンテージを挿入している。
マックス・フェルスタッペン
・185戦*を終えて
【ワールドタイトル3回 / 優勝54回(29.1%) / 表彰台98回(52.9%) / ポールポジション32回(17.2%)】
2015年に若干17歳でデビューしたフェルスタッペンは、レッドブルがトロロッソから昇格させると1年足らずでレースウィナーになった。以来、毎シーズン表彰台の頂点に立ち続け、2021年にはついにタイトル争いに絡むマシンを手に入れた。
それ以来、フェルスタッペンは2021年シーズンから2023年シーズンまで開催された66戦のうち44勝を挙げ、3度のワールドタイトルを獲得した。フェルスタッペンはまだ26歳であり、2028年までF1の支配的なチームに所属することを約束している。
また、前世代に比べてカレンダーが長くなった現在、フェルスタッペンがここ数シーズンで勝利を積み重ねている一方で、ワールドタイトルを獲得するまでに多くのレースが過ぎ去っていることも注目に値する。
*トロ・ロッソでのデビュー前の3回のFP1を除く。
ミハエル・シューマッハ
・185戦を終えて
【ワールドタイトル5回/優勝67回(36.2%)/表彰台118回(63.7%)/ポールポジション54回(29.1%)】
1991年ベルギーGPでジョーダンからデビューしたミハエル・シューマッハはすぐにベネトンに引き抜かれ、初表彰台、初優勝、初ワールドタイトルを獲得した。
シューマッハはその後、フェラーリに移籍し、かつてのタイトル争いの常連だったフェラーリを再び主役の座に返り咲かせようとした。
1997年にウィリアムズのジャック・ヴィルヌーブと故意に接触したとして失格となる厳しいペナルティを受けており、マクラーレンのミカ・ハッキネンにも2度敗れている。
2003年のモナコGPでシューマッハが185戦を達成したとき、彼は7度のワールドタイトルのうちの5度目を手中に収め(同シーズンには6つ目のタイトルを獲得)、フェルスタッペンよりも高い勝利数、表彰台数、ポールポジション数を記録していた。
セバスチャン・ベッテル
・185戦*を終えて
【ワールドタイトル4回/優勝45回(24.3%)/表彰台92回(49.7%)/ポールポジション47回(25.4%)】
2007年にBMWザウバーでデビューし、2008年にはトロロッソで優勝、2009年にはレッドブルのフロントランナーへと急成長を遂げ、2010年から2013年まで4連覇を達成したセバスチャン・ベッテル。
F1のターボ・ハイブリッド規制が到来するなか、苦しい2014年シーズンを終えたフェラーリはベッテルを引き抜き、ベッテルはフェラーリのタイトルをさらに増やすために戦った。
2017年のモナコGPまでに、ベッテルは通算53勝のうち45勝、122回の表彰台のうち92回、57回のポールポジションのうち47回を獲得している。
*BMWザウバーでのFP1デビュー前の7戦を除く。
ルイス・ハミルトン
・185戦を終えて
【ワールドタイトル3回/優勝50回(27%)/表彰台101回(54.5%)/ポールポジション58回(31.3%)】
マクラーレンのルーキーイヤーだった2007年、2度のワールドチャンピオンに輝いたフェルナンド・アロンソとともにF1シーンに登場したハミルトンは、表彰台、ポールポジション、そして優勝とワールドタイトル獲得に大きく貢献した。
ハミルトンはフェラーリのフェリペ・マッサとの対決を制して2008年の王座に返り咲いたが、これがマクラーレンでの唯一のチャンピオンとなった。
その後マクラーレンがタイトル争いに苦戦する中、メルセデスの誘いに応じたのだ。
2013年、ハミルトンとメルセデスは表彰台と躍進的な勝利で着実なスタートを切ったが、彼らの目は常にターボハイブリッド時代を見据えていた。それが功を奏し、メルセデスは独走態勢を築き、2016年のオースティンでハミルトンが185戦目を迎えたときには、すでに3度のチャンピオンに輝いていた。その後、2017年から2020年にかけてさらに4回のタイトル獲得が続く。
アラン・プロスト
・185戦を終えて
【ワールドタイトル3回 / 優勝44回(23.7%) / 表彰台94回(50.8%) / ポールポジション20回(10.8%)】
アラン・プロストはキャリアの初期にルノーで表彰台フィニッシュ、レースウィナー、タイトルコンテンダーとなったが、1980年にF1デビューを飾ったマクラーレンに復帰したことが、勝利のラッシュとチャンピオンシップでの最初の2連勝のきっかけとなった。
その時点でマクラーレンのナンバーワンに君臨していたプロストは、1980年代後半に新星アイルトン・セナとチーム内バトルを繰り広げる。1989年、プロストは王座奪還を果たしたが、その決着方法はプロストをフェラーリへと追いやるものだった。
しかし、ウィリアムズに移籍し、FW15Cという素晴らしいパッケージを手に入れたプロストはさらに7勝を挙げ、4度目のタイトルを獲得した。
ネルソン・ピケ
・185戦を終えて
【ワールドタイトル3回/優勝20回(10.8%)/表彰台54回(29.1%)/ポールポジション24回(12.9%)】
ネルソン・ピケは1980年、バーニー・エクレストン率いるブラバムチームの躍進とともにフロントランナーとして頭角を現し、その年はウィリアムズ1台に阻まれてアラン・ジョーンズがトップに立ったものの、次戦ではカルロス・ロイテマンを破って自身初のチャンピオンに輝いている。
しかし、1984年と1985年はリタイアが多く、ピケはウィリアムズに移籍、チームメイトのナイジェル・マンセルと激しいライバル関係を築く。
1986年の劇的な対決の後、ウィリアムズ勢の緊張は沸点に達したが、1987年にピケはタイトル獲得に返り咲いた。1990年にベネトンから185戦目に参戦したピケは、20勝のうち3勝を除いてすべてを手にしていた。
・レース出場185回未満で3度のチャンピオンを獲得したドライバー
ファン・マヌエル・ファンジオ
・51戦以降の成績
【ワールドタイトル5回/優勝24回(47%)/表彰台35回(68.6%)/ポールポジション29回(56.8%)】
ファン・マヌエル・ファンジオは1950年代の8シーズンで5度のワールドタイトルを獲得した。1951年はアルファロメオ、1954年と1955年はメルセデス(数年前のモンツァでの大クラッシュから復活)、1956年はフェラーリ、1957年はマセラティでタイトルを獲得している。
“エル・マエストロ “は参戦したグランプリのほぼ半分で優勝し、3レース中およそ2レースで表彰台に上がり、グリッド最上段からスタートすることが多かった。
ジャック・ブラバム
・123戦を終えて
【ワールドタイトル3回/優勝14回(11.3%)/表彰台31回(25.2%)/ポールポジション13回(10.5%)】
ジャック・ブラバムのタイトル獲得は、1959年と1960年に革新的なリアエンジンのクーパーで2度のチャンピオンを獲得した時と、1966年に自身の名を冠したチームで3度目のチャンピオンを獲得し、F1の歴史にその名を刻んだ時の2段階に分けられる。
ここに挙げた3度のチャンピオンの中で、ブラバムより勝率が低いのはピケだけだが、約15年にわたるF1キャリアにおいて、重要なときに結果を残した。実際、1960年には5連勝、1966年には4連勝を飾り、3度のタイトルのうち2つを手にしている。
ジャッキー・スチュワート
・99戦を終えて
【ワールドタイトル3回/優勝27回(27.2%)/表彰台43回(43.4%)/ポールポジション17回(17.1%)】
1960年代半ばにBRMからF1デビューを果たしたジャッキー・スチュワートは、最初の3シーズンで2勝を含む12レース中8レースで表彰台に上った。
1968年から1973年まで、”フライング・スコット”は6戦中3戦でワールドタイトルを獲得し、27勝という当時の記録を打ち立てた。スチュワートは、チームメイトのフランソワ・セベールがワトキンス・グレンで起こした悲劇的な事故により、100戦目の出走を前にリタイアした。
ニキ・ラウダ
・171戦を終えて
【ワールドタイトル3回/優勝25回(14.6%)/表彰台54回(31.5%)/ポールポジション24回(14%)】
競争力がなく、信頼性の低いマシンでF1キャリアをスタートさせたニキ・ラウダだが、マーチ、そしてBRMでの活躍はすぐにフェラーリの目に留まり、1974年にはレースウィナー、1975年にはワールドチャンピオンに輝いている。
翌年にはニュルブルクリンクでクラッシュを喫し、マクラーレンのライバル、ジェームス・ハントに道を開いたラウダだったが、1977年にはフェラーリとの関係が悪化していたとはいえ、2度目の栄冠を手にする。
ブラバムへの移籍でさらに2勝を挙げたものの、タイトルへの挑戦は叶わず、1979年シーズン終盤にラウダはこのスポーツから足を洗う。しかし、ロン・デニスとマクラーレンの誘惑に応え、1984年に3度目のタイトルを獲得。
アイルトン・セナ
・161戦を終えて
【ワールドタイトル3回/優勝41回(25.4%)/表彰台80回(49.6%)/ポールポジション65回(40.3%)】
アイルトン・セナは1984年モナコGPで豪雨の中、トールマン・ルーキーとしてF1史上初の表彰台を獲得。
1988年にマクラーレンに移籍したセナは、チームメイトとなった初年度にチームメイトのプロストを破ってタイトルを獲得し、一躍脚光を浴びる。1990年にもフェラーリのライバル、プロストと接触してセナが勝利。
マクラーレンからウィリアムズに移籍したセナは、1994年サンマリノGPのクラッシュで致命的な負傷を負い、タイトルと勝利をさらに増やしたいという希望は悲劇的な結末を迎えた。しかし、彼のパーセンテージが物語っているのは、特に予選での成績である。
3連覇王者以外の注目すべき勝率
この記事ではフェルスタッペンのトリプルチャンピオンに焦点を当てたが、その中心的な統計で言及に値するドライバーは他にもたくさんいる。
インディアナポリス500の一度きりの優勝で記録を塗り替えたドライバーはさておき、アルベルト・アスカリが40.6%(32戦)、ジム・クラークが34.7%(72戦)でファンジオに次ぐ2位と3位につけている。
ルイジ・ファジオーリ(14.2%)、ルドヴィコ・スカルフィオッティ(10%)、ヨッヘン・リント(10%)も2桁の勝率を誇るドライバーの一人である。
ファジオーリは1952年にモナコで起きたスポーツカー事故による負傷のため、わずか7戦のF1参戦でこの世を去り、リントは1970年にモンツァでプラクティス中のクラッシュで命を落としたものの、死後にその年のタイトルを獲得している。スカルフィオッティはクラークが亡くなった直後の1968年、ヒルクライム選手権で命を落とした。
一方、スターリング・モスは出場した66戦のほぼ4分の1で勝利を収めており、デイモン・ヒル(19.1%)、ナイジェル・マンセル(16.5%)、トニー・ブルックス(15.7%)、ジュゼッペ・ファリーナ(15.1%)、ミカ・ハッキネン(12.4%)、ニコ・ロズベルグ(11.1%)、ジェームス・ハント(10.8%)、アラン・ジョーンズ(10.3%)なども上位に名を連ねている。
フェルスタッペンの近年のライバルとしては、アロンソが378戦32勝で8.5%、バルテリ・ボッタス(4.5%)、シャルル・ルクレール(4%)、ダニエル・リカルド(3.3%)などが挙げられる。
(歴代勝率の内訳は以下を参照。)
【トップ25 F1レース勝率】
Driver | Wins | Percentage |
---|---|---|
ファン・マヌエル・ファンジオ | 24 | 47% |
アルベルト・アスカリ | 13 | 40.6% |
ジム・クラーク | 25 | 34.7% |
ルイス・ハミルトン | 103 | 31% |
ミハエル・シューマッハ | 91 | 29.6% |
マックス・フェルスタッペン | 54 | 29.1% |
ジャッキー・スチュワート | 27 | 27.2% |
アラン・プロスト | 51 | 25.6% |
アイルトン・セナ | 41 | 25.4% |
スターリング・モス | 16 | 24.2% |
デイモン・ヒル | 22 | 19.1% |
セバスチャン・ベッテル | 53 | 17.7% |
ナイジェル・マンセル | 31 | 16.5% |
トニー・ブルックス | 6 | 15.7% |
ジュゼッペ・ファリーナ | 5 | 15.1% |
ニキ・ラウダ | 25 | 14.6% |
ルイジ・ファジオーリ | 1 | 14.2% |
ミカ・ハッキネン | 20 | 12.4% |
ジャック・ブラハム | 14 | 11.3% |
ネルソン・ピケ | 23 | 11.2% |
ニコ・ロズベルグ | 23 | 11.1% |
ジェームス・ハント | 10 | 10.8% |
アラン・ジョーンズ | 12 | 10.3% |
ルドヴィコ・スカルフィオッティ | 1 | 10% |
ヨッヘン・リント | 6 | 10% |
インディ500優勝者は除く |
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