レッドブルF1新代表、ローラン・メキースの正体とは?経歴を徹底解説

laurent mekies ローラン・メキース
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ローラン・メキースは現代のF1を代表する人物の一人として頭角を現した。1977年にフランスのトゥール市で生まれた彼は、技術的な厳密性と戦略的創造性、そしてリーダーシップを兼ね備え、パドックを変革してきたエンジニア世代を象徴している。2025年、レッドブル・レーシングの新CEOに就任したメキースは、リーダーシップの激変、競争の激化、そして迫りくる2026年の新規則という困難な状況の中で、チームの舵取りを任されることになった。

エンジニアとしてのスタート

フランスのESTACA工科大学での学士号取得後、インペリアル・カレッジ・ロンドンで修士号を取得したメキース。卒業後、小規模ながら尊敬を集めていたアロウズ・グランプリにてF1の技術部門に足を踏み入れた。鋭い分析力と限られたリソースを最大限に活用する能力を認められた彼は、車両パフォーマンス・エンジニアリングに従事。不完全なマシンからあらゆる速さを引き出すスキルを磨いていった。

2002年にアロウズが倒産すると、メキースはミナルディに移籍した。フェルナンド・アロンソやマーク・ウェバーのキャリアをスタートさせたことで有名なイタリアのチームである。レース・エンジニアとして、彼は若いドライバーたちと直接協力し、より潤沢な資金を持つライバルたちに対抗する手助けをした。リソースが限られた環境の中で、彼の冷静な問題解決能力や体系的なアプローチが際立ち、パドック全体から急速に尊敬を集めるようになっていったのだ。

トロロッソからFIAへ

2005年、レッドブルがミナルディを買収し、ジュニアチームであるスクーデリア・トロロッソが誕生。メキースは次第に戦略的な役割を担うようになり、最終的にチーフエンジニアとして、若手ドライバーの育成とチームの技術的方向性を直接形作るようになった。

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この基盤が彼を2014年の大きな転機へと導いた。FIAの副レースディレクター、後にセーフティディレクターに就任したのである。FIAで、メキースは新しい安全基準の導入において中心的役割を果たした。現在では当たり前となった『ヘイロー』の開発も担当したのだ。当初は物議を醸したヘイローは、その後複数のドライバーの命を救うことになり、短期的な批判よりも革新と安全を優先した彼の判断が正しかったことを証明した。チャーリー・ホワイティングとの協力や、レース手順の改良におけるリーダーシップにより、彼はモータースポーツ界において最高レベルの信頼を獲得したのだ。

フェラーリでの試練

laurent mekies

メキースは2018年にピットウォールに戻り、マウリツィオ・アリヴァベーネ、後にマッティア・ビノットの下でフェラーリのスポーティングディレクターに就任した。マラネロで彼は技術的な経歴や組織でのリーダーシップを組み合わせ、複雑なスポーティング規則への準拠を確保しながら、レースではマシンの最大限の活用に力を入れた。

彼の在職期間中のフェラーリは激しい競争に見舞われ、戦略の失敗やチーム内での政治にも悩まされた。しかし、そんな中でメキースはチームの安定化の要因として知られるようになった。プレッシャー下でも冷静で、複数の言語に堪能な彼は、メカニックから役員まで幅広く尊敬を集めていた。レースディレクターに昇進する頃には、パドックで最もバランスの取れたリーダーの一人として評判を確立していた。マシンの技術に精通し、外交的な面でも熟練していた彼は、グランプリ週末の混乱の中でも動じることがなかった。

また、困難な年における告発の渦中でプレッシャーを受けていたビノットを含む、フェラーリの重要人物への忠誠心や彼の誠実さも際立っていた。

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アルファタウリの代表としての活躍

2023年、メキースはアルファタウリ(現在のVCARB)のチーム代表に任命。約20年間務めたフランツ・トストに代わりリーダーを務めることとなった。この人事は世代交代を象徴していた。トストの権威主義的な経営スタイルから、メキースのより協調的で現代的なアプローチへの移行である。

Laurent Mekies
ローラン・メキース

フレッド・バスールがメキースにフェラーリを去ってほしくなかったのは当然だったが、最終的には彼の活躍を祝った。

ファエンツァで、メキースはチームをレッドブルの若手ドライバーの試験場としてだけでなく、独自の競争力を持つミッドフィールドチームとして再構築することに取り組んだ。彼の角田裕毅とのパートナーシップは特に重要で、角田の成長を安定化させ指導しながら、チームの大幅な再編を管理した。

レッドブルでの新たなる挑戦

2025年、レッドブル・レーシングのチーム代表を長年務めたクリスチャン・ホーナーが退任。メキースがその役職に就いた。彼の使命は今までにないほど困難なものである。レッドブルは現在、激動の転換期に直面している。マックス・フェルスタッペンのチームでの将来は不透明で、かつて支配的だったレッドブルのマシンも戦略とパフォーマンスに亀裂を見せ始めている。さらに、マクラーレンが圧倒的な速さを見せ、手強いタイトル候補として台頭している。

チーム代表として、メキースはミルトンキーンズを拠点とする組織の統一、レッドブル・パワートレインズのメインチームとの統合、そしてフォードとのパートナーシップによる新エンジン規則への準備を任されている。また、フェルスタッペンの要求に応えることと、チームの長期的安定の保護という微妙なバランスを取らなければならない。これは彼の持ち合わせる協調性とリーダーシップの両方が試される試練である。

テクニカルディレクターのピエール・ワシェとの密接な関係、そしてFIAからフェラーリに至る複雑な組織を渡り歩いてきた経験により、メキースはこの不安定な時期に安定をもたらすのではないかと多くが予想している。また、可視性と対立を好んだホーナーとは対照的に、メキースはより静かで協調的なリーダーシップスタイルを好んでいるようだ。

角田裕毅との深い絆

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チームにおけるメキースの最も重要な貢献の一つは、レッドブルのセカンドドライバーである角田裕毅との密接な関係である。VCARBで角田と協力してきたメキースは、角田の持ち合わせる速さと不安定さの両方を理解していた。角田がかつて感情的な言動と一貫性の欠如で批判されていた時、メキースはより冷静で指導的なアプローチを適用した。ドライバーの素質を強化し、より明確なフィードバックを提供したのである。その結果、角田の自信の再構築が顕著に見られた。メキースの指導の下、角田はより落ち着いた、信頼できるドライバーに成長し、真の才能を一貫したパフォーマンスに変換する能力を着実に高めている。

レッドブル・レーシングでの彼らの再会は、これ以上ないほど重要な時期に実現した。スパでの初戦で、メキースは公然と角田を支持。周囲の反対にも関わらず、グリップ問題に対処するために必要な新型のフロアを角田のマシンに導入した。さらに、メキースは角田のパフォーマンス低下が、本人のレースペースではなく、RB21の根本的な技術的問題に原因があることを明言した。ドライバーを技術的にも精神的にも支援することで、メキースは角田のチーム内での地位を強化。それだけでなく、角田が2026年もチームに残ることの可能性を強調したのだ。

メキースの真価

キャリアを通じて、メキースは技術的な知識と経験、落ち着いた性格と協調性、そして優れたリーダーシップで評判を築いてきた。一人一人の個性と企業権力闘争によって定義されるF1の時代において、彼の冷静で戦略的なアプローチは、レッドブル・レーシングが必要としているものかもしれない。

レッドブルの再編成を通してチームを成功に導き、マックス・フェルスタッペンを2026年以降も留まらせることができるかどうかは不明のままである。しかし明確なのは、彼のチーム代表としての就任が既にチームの士気を高めているということだ。さらに、彼の存在は、角田裕毅の自信と将来の見通しに大きく貢献しているに違いない。

2024年にシガスポーツが行ったメキースとの独占インタビューはこちら↓

【シガスポーツ独占インタビュー!】RBチーム代表、ローラン・メキースとの対談全容

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