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ホンダのF1撤退の理由から、2026年ワークス復帰の軌跡

ホンダのF1撤退の理由から、2026年ワークス復帰の軌跡

2021年から2025年にかけて、ホンダ(Honda)は近年のF1史の中でも最も複雑で誤解されやすいフェーズにある。

「撤退したはずなのに勝ち続けている」「2026年に復帰するとはどういうことなのか」──こうした疑問は、F1ファンの間でも頻繁に語られてきた。ホンダのF1での2025シーズンは“撤退後”でありながら実質的な最前線に立ち、そして2026年にはワークスとして正式復帰する。

ここでは、「ホンダはF1を2026年にどう動くのか」「ホンダのF1撤退を繰り返す理由」といったテーマを軸に、ホンダF1の歴史、そして現在と未来を深堀りしてみる。

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ホンダとレッドブルのパートナーシップ

ホンダとレッドブルのパートナーシップ

ホンダとレッドブルのパートナーシップは、F1史における理想的な技術提携の象徴とも言える存在だ。2019年に本格的な協業が始まり、パワーユニット開発は急速に進化。

2021年、マックス・フェルスタッペンはホンダ製PUでドライバーズタイトルを獲得し、メルセデスによる長期支配に終止符を打った。

その後もレッドブル×ホンダは黄金時代を築き、PUの信頼性・出力・エネルギーマネジメントの完成度はいずれも他メーカーを凌駕するレベルに到達する。しかし皮肉にも、この「成功」こそが、両者を戻れない関係にしてしまった。

ホンダは2020年に「2021年限りでF1撤退」を発表した後も、HRC(ホンダ・レーシング)を通じて開発・運用面でレッドブルを支援し続けた。2025年シーズンにおいても、その技術的中核はホンダが築いたものであり、名義がRBPTであることを除けば実態は変わらない。

一方のレッドブルは、2020年の撤退発表を受けて2026年レギュレーションを見据え、フォードと組んだ独自PU開発へと舵を切る。ホンダが「ワークス復帰」を選び、レッドブルが「自前開発」を選んだ時点で、両者の道は必然的に分かれることになった。

ホンダがF1から撤退した理由

ホンダがF1から撤退した理由

「ホンダがF1から撤退した本当の理由は何だったのか?」この問いは今も多く問われ続けている。F1撤退は今回ばかりではない。その歴史的な背景も紐解いていこう。

2020年の公式発表では、カーボンニュートラルへの集中、電動化技術への経営資源の再配分が主な理由と説明された。しかしF1ファンの視点で見れば、それだけでは納得しきれない。なぜなら撤退発表後もホンダはF1に深く関与し続け、結果的に最強クラスのPUを完成させているからだ。

実際の背景には、当時の経営判断とF1の将来像とのズレがあった。2026年以降のPU規定が不透明だった段階で、ホンダは数百億円規模の長期投資を即断できなかった。一度「撤退」を決断した以上、方針転換には時間が必要だったのも事実だ。

しかし、FIAとFOMはその後、電動比率50%、持続可能燃料100%という明確な方向性を打ち出す。これによりF1は、ホンダが目指す環境技術開発の最前線へと変貌した。

そして、企業である以上、「会社を守る」という判断が避けられない場面も少なからず存在する。

バブル崩壊、リーマン・ショック、そして新型コロナウイルスのパンデミック――。こうした世界経済が大きく揺らいだ局面の裏側で、ホンダはF1からの撤退という決断を下してきた。

ホンダのCVCCエンジン

しかし、すべてがマイナスに働いたわけではない。
ホンダの第1期F1撤退は、1968年シーズン終了後の決断だった。その背景には、大気汚染問題への対応――いわゆるマスキー法をはじめとする環境規制の強化と、厳しい経済状況があった。
ホンダはF1活動を一時休止し、そのリソースを環境技術の開発へと集中させる道を選ぶ。そこで生まれたのが、CVCCエンジンである。

「突破不可能」とまで言われたマスキー法を、世界で初めてクリアしたのが、このホンダのCVCCだった。
そして、この革新的な技術開発を支えたのは、かつてF1撤退を余儀なくされ、悔し涙を流したエンジニアたちだった。
F1で果たせなかった思いは、環境技術という新たな舞台で結実したのである。

つまりホンダのF1撤退理由とは、「F1が不要になった」のではなく、「当時のF1が将来戦略と一致していなかった」「F1より先ずは世界情勢に適応する」という点に集約される。

しかし、この事実も忘れてはならない。

2022年、EU(欧州連合)は「2035年以降、内燃機関車の新車販売を禁止する」という方針を打ち出した。この流れを見越し、メルセデスは2021年の時点で「10年以内に内燃機関の開発を終了し、EVへ完全移行する」と発表。研究開発費として、約400億ユーロ、日本円にしておよそ7兆円近い巨額投資を行う計画も明らかにしていた。

ところが2025年、メルセデスはEUに対し、この「2035年内燃機関販売禁止」方針の見直しを要請。同年にはEU側も、この規制を撤回する方向性を示すことになる。

言い換えれば、ホンダを含む自動車メーカー各社は、こうした政策や世界情勢に翻弄され続けているということだ。そして、その変化に対応するためには、常に莫大な資金が必要となる。結果として、真っ先に「整理対象」となりやすいのがF1参戦なのである。

F1撤退の決断に、苛立ちや悲しみを覚えるファンは多いだろう。しかし視点を変えれば、企業側もまた、不確実な世界情勢の中で苦しい選択を迫られている存在だと言えるのかもしれない。

ホンダの2025年シーズン|撤退後も続く“実質参戦”

ホンダの2025年シーズン|撤退後も続く“実質参戦”

ホンダのF1を考察するうえで2025年は、公式立場と実態が最も乖離したシーズンとなる。名目上ホンダはワークスでもPUサプライヤーでもないが、レッドブル陣営の技術的基盤は依然としてホンダ由来だ。

この年はホンダにとって「F1第4期の最終章」であり、同時に「ホンダのF1第5期への準備期間」でもある。タイトルから一歩引きながらも、次世代PU開発に集中できる体制は、結果的に理想的な移行期間となった。

F1ファンの間で語られる「ホンダはF1をなぜ撤退したのに戦っているのか?」という疑問は、この2025年という特殊な立ち位置を理解することで初めて解消される。

ホンダが2026年のワークスとして復帰

ホンダが2026年のワークスとして復帰

ホンダは2026年シーズンから、アストンマーティンと共にワークス体制でF1に復帰する。

次世代PU開発はすでに本格稼働している。2026年規定は、電動比率50%、持続可能燃料100%という、ホンダが長年求めてきた技術思想そのものだ。

アストンマーティン側も組織改革と設備投資を進め、ホンダとのワークス体制に向けた基盤を整えている。これは単なる復帰ではなく、ホンダF1第5期の正式なスタートと位置づけるべきプロジェクトである。

そして、何よりも注目すべきはエイドリアン・ニューウェイとのタッグだ。

かつてレッドブル黄金期を築き上げたマシンを生み出した、“空力の天才”。そのニューウェイと再び協力体制を築くという事実は、F1界において極めて大きな意味を持つ。

さらに、フェルナンド・アロンソの存在も見逃せない。かつてホンダ時代に「GP2エンジン!」という痛烈な言葉を残した過去があるが、2度の世界チャンピオンであり、今なおチームを牽引できる稀有なベテランだ。

このニューウェイ、そしてアロンソとのタッグは、単なる“アストンマーティンの続編”ではない。

それは、ゼロから作り上げられる、まったく新しい――究極のアストンマーティンなのである。

2026年からホンダのF1第5期が始まる

2026年からホンダのF1第5期が始まる

2025年シーズンは終わりではなく、ホンダがF1に本格参戦のための準備であり移行期間だった。そして2026年、ホンダはアストンマーティンと共に、明確なビジョンと体制を持ってF1に戻ってくる。

撤退、継続、復帰──

これらは断絶ではなく一本の線でつながっている。ホンダF1第5期は、公式発表よりも早く、すでに静かに始まっているのだ。

RA272から始まり、MP4/4、そして近年ではRB19へと連なる歴代の傑作マシン。その系譜に、新たな伝説が加わるのか――。

F1ファンとして、「AMR」の型番がその歴史の並びに刻まれる瞬間を、これほど楽しみにせずにはいられない。

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