角田裕毅にも影響…ホンダ撤退がレッドブルに残した“深刻な余波”とは
ホンダが2020年末に2021年シーズン終了をもってF1から撤退すると発表した際、レッドブル・レーシングはワークスエンジンパートナーを失った将来に備え始めた。この決定はチーム史上最も重大な戦略転換の引き金となった。
ところがその1年後、ホンダは方針を反転させた。F1への関与を続けるだけでなく、2026年にはアストンマーティンとともにフルワークスとして再参入する道を選んだのだ。
レッドブルにとって、この方針転換はパートナーシップの継続を構造的に不可能にした。そして、ホンダとレッドブルの関係の中でキャリアを築いてきた角田裕毅にとっては、これまで安泰に見えていた将来の道筋が一気に揺らぐ転機となった。
繰り返される歴史―ホンダは去り、そして戻る

ホンダの突然の撤退は、実は今回が初めてではない。2008年末、世界的な金融危機のさなかにホンダは突然F1からの撤退を発表し、ワークスチームは宙に浮く形になった。直後に元テクニカルディレクターのロス・ブラウン氏がチームを買収する。
ホンダが残していったのは、完成目前だった2009年型シャシーと高度なパワーユニット統合プログラムだった。それこそが、後にブラウンGPが信じがたいタイトル獲得を成し遂げる基盤となった。
現在ウィリアムズのチーム代表で、当時ホンダ・ブラウンのシニアエンジニアだったジェームズ・ボウルズ氏は、その時期のファクトリー内の衝撃について繰り返し語っている。あの時期を経験した多くの関係者にとって、今でも忘れ難い記憶として残っており、メーカーの判断ひとつでチームの将来が左右されてしまう“危うさ”を痛感させられる出来事だった。
15年後、レッドブルでのホンダの撤退と方針転換は同じ不安定感を蘇らせた。ただし今回は、グリッドの先頭にいるチームがその影響を受ける形になった。
独立を余儀なくされたレッドブル

レッドブルのドライバー育成プログラムを20年以上にわたって作り上げてきたアドバイザーのヘルムート・マルコ氏は、ホンダが2021年にF1撤退を決めたことを、以前から“後戻りできない転機”として語っている。
アブダビでシーズン最終戦を終えた後、マルコ氏は当時の提携関係を振り返りながら、「レッドブルにはもはや、自前でパワートレイン部門を作る以外の現実的な選択肢は残されていなかった」と述べた。
「レッドブル・レーシングが自社エンジンを作るのは新しい章だ」とマルコ氏は語った。「ホンダが撤退した時、我々はそうせざるを得なかった。1年後、ホンダは継続すると決めた。しかしそれは遅すぎた。我々はすでに投資していた。その時点で、我々はエンジン開発をしていた」
レッドブル・パワートレインズの設立は、巨額の費用と複数年にわたる取り組みで、現在ではレッドブルとレーシングブルズの両方にエンジンを供給している。これによって、2021年以降にホンダと再び協力関係を築くことは、構造的に不可能になった。
ホンダがアストンマーティンを次のワークスパートナーとして正式に選んだ時には、両者はすでに互いに相容れない戦略路線を進んでいた。
ホンダの撤退は、レッドブルに前例のないレベルの不確実性を残した。チームは数億ドル規模の投資を行い、経営陣の注意を大きくエンジンプログラムに振り向け、多くのエンジニアを新たに採用し、“ゼロからエンジン部門を構築する”という決断をしたのだ。
しかも、そのパワーユニットが競争力を持つ保証は一切なかった。その結果レッドブルは、最も得意としてきた領域――すなわちF1でレースに勝つためのチーム運営――からリソースを振り替えることになった。
レッドブル内部では、多くの上級幹部がその瞬間を代償の大きい転換点として今も見ている。マルコ氏自身、一連の出来事を語る際、パートナーシップがいかに急速に崩壊したか、そしてホンダが方針を変えた後、チームがいかに身動きが取れなかったかについて、明らかに苛立ち、時には苦々しく語った。
角田裕毅を生み出したドライバー育成過程

ここ約10年間にわたり、ホンダとレッドブルの提携には、非公式ながら強い影響力を持つドライバー育成過程が存在していた。ホンダの若手育成プログラムは、日本の有望株をレッドブルの欧州ジュニアカテゴリーへ送り込み、そこでは多くの将来のF1チャンピオンを生み出してきたのと同じ競争環境を経験させることができた。
その機会を最終的にF1キャリアに繋げたドライバーは1人だけだった——角田裕毅である。
角田のステップアップは三者間パートナーシップの結果だった。ホンダの早期発見と支援、マルコ氏の下でのレッドブルのサポート、そしてアルファタウリでのフランツ・トスト氏による厳格な実践的指導。この3つが、衝動的で非常に荒削りなルーキーを規律正しく実戦的なドライバーに変えた。
このプログラムは、まさにホンダが思い描いていた結果を生んだ。モータースポーツの最高峰で戦い、将来的に勝利できる日本人ドライバーの選出、同時にホンダブランドの文化的・商業的な架け橋としての役割を果たした。
角田の魅力はパドック中だけにとどまらなかった。その存在感は自然とホンダと長年の関係を築き、インディ500で2勝を挙げた佐藤琢磨の後継者とも言える立場へと結びついた。
角田はその役目を受け継ぐ準備ができているように見えた。しかし、ホンダの突然のF1撤退、そして同じく突然の復帰は、彼を企業側の事情に左右される立場に置いた。その結果、ホンダとレッドブルの関係が揺れるたびに、角田はその影響を受ける立場になり、両者のやり取りの中で扱われ方が変わる場面が増えていったのだ。
ホンダとレッドブル、2つの企業事情に左右されるキャリア

パートナーシップの中で、角田の存在は何度かホンダとレッドブルの戦略的な交渉と結び付いて語られる場面があった。日本企業とオーストリアのチームによる協力関係において、日本人ドライバーである角田の価値は明白で、レッドブルがホンダから追加の支援を引き出すために、その価値を“交渉材料”として使ったこともあったと言われている。
最も目に見える例は、ホンダの財政支援が日本グランプリ直前にレッドブル・レーシングのシート候補として角田を短期間——そして最終的には代償の大きい——昇格を促進した時だった。
最近では、2026年のホンダ主導のTPCテストの継続提案が、レッドブルに新たな財政的・運営上の負担を課す恐れがあった。そのためレッドブルは、代わりに角田へ「2026年のリザーブ兼開発ドライバー」という役割を提示し、結果として数百万ドル、そして貴重なリソースを節約した。
ホンダ製パワーユニットを搭載した旧型マシンを維持していくには莫大な維持費がかかり、さらに優秀なエンジニア人材を多く割かなければならず、レッドブルにとって最優先である自社パワーユニット開発が進まなくなるリスクがあったからだ。
しかし、その結果が角田にもたらした影響は非常に大きいものだった。もしホンダがレッドブルとの提携を保ち続けていたなら、角田の長期的なキャリアの道筋はまったく違うものになっていたはずだ。
内部の評価によれば、本来であれば角田はどんな状況であっても、レッドブルの2つのチームのいずれかに確実にシートを持てていたとされていた。さらに言えば、今シーズン角田が直面した混乱や苦戦の一部は、チーム運営の不安定さやガレージ側の体制不足にも起因しており、角田が本来受けるべき適切な環境が十分に整っていたわけではなかった。
レッドブル内部の複数の関係者、特に元アルファタウリ代表のフランツ・トスト氏らは、2025年に向けてリアム・ローソンを昇格させ、角田を外した判断について、非公式の場で疑問を呈していた。
多くの関係者は、この決定が純粋なパフォーマンスによるものではなく、ホンダの撤退決定を受けた企業的・戦略的な要因の方が大きかったと考えている。
しかし、より大きな打撃となったのはその後だった。たとえホンダが角田への支援を続ける意思を持っていたとしても、2026年にレッドブルのシートに彼を乗せることはできなかったのだ。
ホンダがアストンマーティンのワークスパートナーになる以上、競合チームに所属するドライバーを支援することは、商業的にも法的にも成り立たない状況になってしまったからだ。
レッドブルは、自社と契約しているドライバーが競合メーカーを宣伝したり、プロモーション活動に参加したりすることを禁じている。たとえば、ホンダの代表的なイベント「ホンダ・サンクスデー」などへの参加も同様だ。これは利害の衝突を避けるための措置だろう。
そしてその逆も成り立つ。つまり、競合チームに所属するドライバーをホンダ側が広告塔として起用することも、ブランド戦略やPR上厳しい。
苦い結末と、予期せぬ学び

角田にとって今回の決定は痛みを伴うものだ。しかし、それでも冷静に見れば得たもの多い。これまで日本人ドライバーで、これほど深くF1のトップチームの中枢に入り込んだ例はない。普通ならほぼ不可能だったチャンスを得られたのだ。
近年の歴史で最も成功したF1チームでのスポーツでの5シーズンは、ホンダの協力関係によって可能になった。角田自身、ホンダとレッドブルの両方に対して進む道を開いてくれたことに深く感謝し続けている。
しかし、彼の運命はまた、20年間ホンダの企業意思決定に伴ってきた不安定性を浮き彫りにしている。このパターンは、2026年からTGR–ハースとしてトップカテゴリーに復帰するトヨタにとって、間違いなく注意深く研究すべき事例になる。
ハースのチーム代表である小松礼雄氏が繰り返し強調しているように、トヨタのプロジェクトは短期的な結果よりも、長期的に人材を育てることを最も重視している。それはエンジニアに対しても、ドライバーに対しても同じ考え方だ。
それは、ホンダが長年にわたって高い成果を上げてきた一方で、ときに予測しづらい動きをしてきた育成戦略から学んだ教訓でもあると考えられる。
レッドブルにとって、完全なパワーユニット独立へ舵を切ったことは、もはや後戻りできない決断だ。一方、角田に求められているのは、2027年の復帰を視野に入れながら、リザーブ兼開発ドライバーとして競争力を再構築していくことだろう。
この役割は“つなぎ”として設けられた期間であり、将来的にホンダ側、あるいは角田自身がレースシートを確保できるまでの暫定措置と言える。そして、多くの国際的な論評に反して、長期的に見ればむしろ希望の持てる状況とも受け止められる。
ホンダにとって残された問いは、今回の再参入が、アストンマーティンとのワークス契約という形を取ることで、これまでのF1プロジェクトには欠けていた“持続的な安定”をようやく実現できるのか。それとも、これまでと同じ“出入りを繰り返すサイクル”に、また新しい1章を加えるだけなのかという点にある。
すでに明らかなのは、たとえワークスサプライヤーとなったとしても、ホンダがアストンマーティンにおけるドライバー起用の決定権を実質的に持つことはない、という事実だ。特に、チームの筆頭株主であるローレンス・ストロール氏の息子、ランス・ストロールが、1つのシートを占めている状況ではだ。

より大きな視点で見れば、角田の現状は2つの企業がそれぞれの未来を、もう交わらない方向へと作り替えた複雑な結果として生じたものだろう。これは彼に「才能が足りないから」ではない。
むしろ、この不確実な状況を乗り越える経験そのものが、次の可能性への扉を開く力になるはずだ。
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