「最初はそう簡単ではなかった」-トストがアルファタウリの指揮官としての18年間を振り返る

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かつてトロロッソとして知られたアルファタウリのチーム代表、フランツ・トストがアブダビGPで最後の姿を見せ、山あり谷あり、その間にあった18年間の活動に終止符を打った。

ファクトリーチームと姉妹チームとの技術共有が盛んに行われていた2006年、トストはレッドブルの初年度に続いて新たなチームをグリッドに加えた。

それから350戦以上のグランプリを経て、ファエンツァのチームは2勝、5回の表彰台、800ポイント以上を獲得。また、セバスチャン・ベッテルとマックス・フェルスタッペンという未来のワールドチャンピオン達のための修行場としての役割も担った。


Franz Tost at the Australian GP
Franz Tost at the Australian GP

トストは現役引退を前に、その旅路とすべての始まりについてこう振り返った。

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「とても興味深い時間だった。2005年11月8日にファエンツァで始めたんだ。最初はそれほど簡単ではなかった。」

「レッドブルの共同創設者であるディートリッヒ・マテシッツは私にこう言ったんだ。『いいか、2つの柱がある。まずレッドブル・テクノロジーとの相乗効果を利用すること、そして2つ目は若いドライバーを教育することだ。若いドライバー達にはいずれレッドブルに乗ってもらい、レースに勝ち、可能であるならばチャンピオンになってもらいたい。」

「明確な目標をもって、こうしてスタートしたんだ。レッドブル・テクノロジーからすべての材料とマシンを提供してもらった。そしてそれは少し上手く行き過ぎたのかもしれない。2008年にモンツァで優勝した後、FIAとチームはレギュレーションを変更したからね。」

「フロントウイング、リアウイング、ボディワーク一式、ディフューザー、フロア、モノコックを設計しなければならなかった。そのためのインフラがなかったから、空力部門、デザイナー、生産、品質管理のための人材を見つけなければならなかった。」

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Franz Tost Helmut Marko Baku

「これは困難な時期であり、挑戦であった。この時期に多くのことを学んだ。」

「次の大きなステップは2018年にホンダと契約し、このホンダのワークスチームとなったことだ。これにはパドックのほぼ全員が微笑んだと思う。」

「マクラーレンの人たちが私のところにやってきて、ホンダと一緒に仕事をするなんて完全にクレイジーだと言ったので、私は “君たち、待ってくれ、この話は5年後にしよう”と言ったが、5年もかからなかった。私たちの決断が正しかったことはもっと早くに明確になった。」

トストは2019年のダニール・クビアトとピエール・ガスリーの表彰台フィニッシュ、そして1年後のモンツァでのガスリーの優勝を、ホンダが成功した時期の思い出として挙げたが、トストのお気に入りであるのは、前述のイタリアの舞台でのベッテルの勝利である。

「ハイライトをひとつ挙げるのは簡単ではないが、セバスチャンとの初勝利は本当にハイライトだった。」

Credit: Red Bull Content Pool

「チームの共同オーナーであったゲルハルト・ベルガーとピットウォールに座っていたとき、土曜と日曜に雨が降る可能性があることを知ったんだ。」

「僕はゲルハルトに、”なぜ他のドライバーたちが出ていかないのか理解できない”と言ったんだ。ウェットコンディションのモンツァは、簡単ではないからだ。」

「ウェット路面に慣れるために、できるだけ多くの周回を重ねるようにドライバーたちに伝えた。予選が始まって更に雨が強くなってきたとき、インターミディエイトを履いて出て行くマシンが何台かあったので、ゲルハルトに “彼らはもうダメだ”と言ったんだ。そしてレースに勝つことができたのは本当にハイライトだった。」

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