ピアストリとドゥーハン、アルバート・パークの呪いを破れるか?

オーストラリアGPは、メルボルンがF1のカレンダーの定番となって以来、数々の劇的な瞬間を生み出してきたが、地元ドライバーにとって一つの重要なマイルストーンはいまだに達成されていない。これまでオーストラリア人ドライバーは、アルバート・パークの表彰台に正式に立つことができていないのだ。これはオーストラリア人にとって「呪われた場所」なのだろか?
2002年のマーク・ウェバーの息をのむようなデビューから、オスカー・ピアストリの有望な台頭、そして2014年のダニエル・リカルドの悲劇に至るまで、この「国の呪い」は続いている。2025年、ピアストリとルーキーのジャック・ドゥーハンという2人のオーストラリア人ドライバーが、それぞれこの連鎖を断ち切り、歴史に名を刻もうとしている。
2002年以前は、アルバート・パークで地元ファンが応援できるオーストラリア人ドライバーはいなかった。しかしマーク・ウェバーがミナルディでデビューした時、状況は一変。F1に比較的遅めの25歳でやってきた彼は、3年間で1ポイントも獲得できなかったマシンに乗りながら、混沌としたレース展開を利用して見事5位でフィニッシュ。最初の3戦ではリタイアしていたが、このパフォーマンスは非常に印象的で、ウェバーは表彰台に招かれるほどだった。彼の活躍は自身のキャリアを切り開いただけでなく、それ以来、オーストラリア人F1ドライバーが継続的に存在する道を開いた。
故郷でのリカルドの傷心
ウェバーのデビューから10年後、ダニエル・リカルドはオーストラリアの新たな大きな希望となった。母国でのグランプリは彼のキャリアにおいて重要な役割を果たし、2012年にはアルバート・パークでポイントを獲得している。しかし最も記憶に残るのは2014年、ウェバーの後任としてレッドブルでの初レースにおいて、リカルドが歴史的な母国表彰台を獲得した時だろう。
残念ながら、レース終了数時間後、燃料流量違反によってリカルドは失格となり、メルボルンの表彰台に正式に立つ最初のオーストラリア人になるという夢は打ち砕かれた。その後9回の母国レースに出場したが、リカルドはこの時のようなパフォーマンスを再現することはできなかった。
メルボルンは、F3とF2のチャンピオンであるピアストリが2023年にF1デビューを果たした時、再び地元ドライバーを迎えることになった。現在3シーズン目を迎えるピアストリは、すでにグランプリで2勝を挙げ、2025年には本当に優勝争いができる実力を持って母国レースに臨む。
ピアストリとドゥーハンは呪いを破れるか?
マクラーレンがトップチームとして浮上したことで、ピアストリはオーストラリア人が今までに成し遂げられなかったことを達成できる可能性がある。アルバート・パークで表彰台に立ち、ついに母国での表彰台「呪い」に終止符を打つことができるだろうか。
ドゥーハンは、アルピーヌのドライバーとしてF1グリッドに加わる。500ccクラス5度のワールドチャンピオン、ミック・ドゥーハンの息子である彼は、フランスチームのジュニアプログラムでリザーブドライバーとしてキャリアを積み、2025年に正式なシートを獲得した。
これによりドゥーハンは、アルバート・パークで母国グランプリに参戦する4人目のオーストラリア人となる。熱狂的な地元ファンに支えられた彼のデビューは、多くの人が熱心に待ち望んでいるものだ。
2025年のオーストラリアGPは、オーストラリアのF1スターたちにとって特別な機会だ。ピアストリは表彰台を争えるペースを持っており、ドゥーハンはデビューで印象的な走りを見せるチャンスがある。今年こそついに、オーストラリア人がアルバート・パークの表彰台に立つ姿を見ることができるのか?
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