ジェームス・ボウルズ、ハミルトンとロズベルグのライバル関係を管理した交戦規程について明かす
ジェームス・ボウルズは、彼が作成し、ルイス・ハミルトンとニコ・ロズベルグがメルセデスに在籍している間、両者がどのように振る舞い、パフォーマンスを発揮すべきかを定めたいわゆる「交戦規定」について明かした。
透明性のあるコミュニケーションが鍵
ボウルズは、2023年にウィリアムズのチーム代表に就任するまで、メルセデスでエンジニアリングと戦略の重要な役割を担い、その後はモータースポーツ戦略ディレクターを務めていた。
メルセデスに在籍していた頃、特にドライバーと仕事をする際の取り組み方について、故ニキ・ラウダを含む周囲の人々から多くを学んだとボウルズは言う。
ポッドキャストで、ボウルズはこう説明した。「すべてはドライバーに対してオープンで正直であることから始まる。我々は問題の背後にある本当の真実に立ち向かわず、それを回避してしまう事があまりに多い。彼らは結局のところ、多くの点で自らの仕事に関しては世界一なのだから、直接的な会話をするのは難しくなる。」
「公の場での私のあり方、ここでの私のあり方、そしてカメラのないところでの私のあり方はまったく同じである。オープンで、正直で、透明であるところから始まるんだ。ドライバーの行動が、チームや彼ら自身を傷つけるような時でさえ、オープンで、正直な会話をするんだ。」
一例はハミルトンとロズベルグの交戦規定
その一例を問われたボウルズは、ハミルトンとロズベルグのために、彼とチームがどのようにルールと境界線を作り上げたかを詳細に語った。2013年から2016年にかけてメルセデスのチームメイトだったハミルトンとロズベルグが、緊張感を増したライバル関係を共有していたことは言うまでもなく有名だ。
「(2014年に)ドライバーたちの間で最も大きな問題になったのは、ニコもルイスも、この2人のどちらかがその年を制するということを知っていたということだ。ちなみに彼らは、我々が最初のレースで動き出す前からこの事を知っていた。」
「かなり時間がかかったが、私の役割は『お互いにどのように協力し、どのように戦うか』に関する非常に明確なガイドラインを作成することで、当時は『交戦規定』と呼ばれたが、後により軍事的でない呼び名に変更された。」
「しかし、それはともかく内容は『これが我々の行動であり、これが我々のパフォーマンスである。』という実に明確な境界線であり、やるべきことがたくさんあった。」
1ページ目はスポーツマンシップについて
「文書は私が今日信じている理念から始まったが、最初のページ全体がスポーツマンであることについて書かれていた。そこでは、チャンピオンシップを獲得したとしても、フェアでスポーツマンシップに則ったやり方でそれを得なければ、一生後悔することになると説明した。優勝の名を手に入れたとしても、それは穢れ、濁り、純粋なものではないのだ。」
「当時の我々は、別のやり方を見つけたからではなく、ただみんなと同じ事を他の誰よりも上手くする事によって、勝ちたいと考えていた。それはドライバーやエンジニア、チームスタッフからデザイナーに至るまでみんなに共通していた。」
「そして、彼らをF1という旅に連れて行き、世界最高のスポーツマンになることで、何年も何年も語り継がれる伝説を作ることもできるし、チームメイトを追い詰めたり、傷つけたり、ダメージを与えたりするようなことをしてレースに勝つこともできるということを認識させることがとても重要だった。どちらに進みたいのか?とね。」
どのように皆の記憶に残りたいか
「スポーツマンにそれを示すことは、非常にシンプルなことだ。ミハエル(シューマッハ)は信じられないような男だが、1997年(彼が選手権失格となった年)に多くの点で傷つけられた。」
「あのことは誰の心にも深く刻まれている。しかし、、我々はそのような形で覚えられたくはないというマインドセットを作ったんだ。このルールの中で、2人の間で、20レースを通して最も速いドライバーが勝つ。」
「週末の最速ドライバーでもなく、短期的に有利になるようなことをしたドライバーでもなく、20レースで最速のドライバーが勝つ。そういう風にチームを作り上げ、2人には平等に機会を与えると決めた。そして2人はそれを受け入れ、良い環境を作ってくれたんだ。」
全てを防いだわけではない
ボウルズはチーム在籍中にメルセデスとハミルトンで多くの成功を収めた
しかし、2016年のスペインGPでのクラッシュを皮切りに、ハミルトンとロズベルグの間で何度も衝突が起きていることから、これがハミルトンとロズベルグの間の出来事を完全に防いだわけではないこともボウルズも認めている。
「だからといって問題がなかったわけではない。」ボウルズは続けた。「誰もが2016年のバルセロナを思い出すだろう。 なぜなら、2人の優れたスポーツマンが自分の枠に縛られ、フラストレーションを溜め込んでいたからだ。」
「でも実際、そのときするべきことは、引き下がらないことだ。リスクをとって、やってみるんだ。」
2016年末にロズベルグが現役引退を選択したことで、このライバル関係に終止符が打たれた。
【関連記事】